最西端の島の歴史

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万葉の歴史を秘めた島

三井楽半島の先端にある空海記念碑「辞本涯」三井楽半島の先端にある空海記念碑「辞本涯」

空海ゆかりの名所が島に点在

異国の文化を求めて大陸へ向かう人々の最終寄港地であった五島。遣唐使にゆかりのある三井楽町には、遣唐使の一員として海を渡った空海の記念碑「辞本涯」があり、それは「日本の最果ての地を去る」という意味です。この丘に立ち、どこまでも続く大海原を見つめていると、この地を最後に命がけで唐に渡った遣唐使たちの強い思いが感じられます。また、空海が唐からの帰りに立ち寄ったとされるお寺「明星院」があり、そこでは空海(弘法大師)作といわれる地蔵菩薩が見学できます。

五島八十八ケ所霊場めぐり第1番「明星院」五島八十八ケ所霊場めぐり第1番「明星院」

遣唐使にまつわる歴史を紹介する「遣唐使ふるさと館」遣唐使にまつわる歴史を紹介する「遣唐使ふるさと館」

城下町として栄えた町並み

椿咲く頃のこぼれ石を持つ武家屋敷通りの石垣椿咲く頃のこぼれ石を持つ武家屋敷通りの石垣

我が国で最も新しい城・福江(石田)城

1863年、黒船の来航に備えて造られた福江(石田)城。城郭は東西291メートル、周囲1346メートル、城壁の三方を海に囲まれた海城です。江戸幕府最後に築かれた我が国で最も新しい城ですが、明治維新と共に解体。現在は石垣、大手門、さらに城郭の一角に福江藩の隠殿五島邸とその庭園が残っています。城址近くには、当時のたたずまいをそのまま残している武家屋敷通りがあり、約400メートルも続く石垣は全国でも類を見ない造りとなっています。

福江城の蹴出(けだし)門(富江五島家所蔵の写真を複写したもの)福江城の画像としては最も古いものとされています福江城の蹴出(けだし)門(富江五島家所蔵の写真を複写したもの)
福江城の画像としては最も古いものとされています

幻想的にライトアップされた現在の福江城幻想的にライトアップされた現在の福江城

祈りの歴史

今も、

江戸時代末期に信仰の新天地を求めて約3000人ものキリシタンが五島の島に渡ってきました。彼らは神父のいない状況でありながらも信仰を遵守。1868(明治元)年に久賀島におけるキリシタン弾圧が始まり、幼い子供を含む多くの殉教者を出しました。それでも地を這うように土地を耕し、辛抱づよく信仰という一粒の種を播きつづけました。そして1873(明治6)年、禁教が解かれると信徒達は信仰の自由を得た喜びを教会建築という形で表現。やがて、島のあちこちに美しい教会が建てられ"信仰の心"は今も残っています。

キリシタン迫害時の牢屋後が残る水ノ浦教会キリシタン迫害時の牢屋後が残る水ノ浦教会

五島で初めて建てられた天主堂を持つ堂崎教会五島で初めて建てられた天主堂を持つ堂崎教会

海に面した草原の一角に十字架の墓標やマリア様の像が並ぶ渕ノ元カトリック墓碑群海に面した草原の一角に十字架の墓標やマリア様の像が並ぶ渕ノ元カトリック墓碑群