五島の島たび【公式HP】|きれいな画像と動画で五島を紹介

  • スポット
  • 体験
  • イベント
  • モデルコース
  • グルメ個店
  • 教会
  • 動画
  • 旅の予約・宿泊
  • アクセス
  • はじめての五島
  • 世界遺産候補教会
  • 極上のビーチ
  • ディープな釣り
  • 空海と遣唐使
  • 絶品!海の幸
  • 五島牛・スイーツ
  • お土産・特産品
  • HOME
  • 教会

ク
リ
ッ
プ
し
た
情
報

教会

教会

教会

検索条件を変更

ジャンル/エリアを選択

現在地からの距離

検索

閉じる

ジャンル

エリア

> 検索条件をクリア

> 検索する

閉じる

現地からの距離

> 検索条件をクリア

> 検索する

23

件 ありました

並び順

アクセス数順

更新順

近い順

表示切替

タイル

リスト

マップ

  • 1

    堂崎教会
    エリア
    福江

    堂崎教会

    五島のシンボル的教会。県指定有形文化財

    禁教令が解かれたあと、五島キリシタン復興の任を帯びて、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ布教にあたり、1879年にマルマン神父によって、五島における最初の天主堂(木造)が建てられました。 その後着任した、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コーモリ天井などの教会堂建築となって…

  • 2

    井持浦教会とルルド
    エリア
    玉之浦

    井持浦教会とルルド

    五島の信徒に呼びかけ、島内の石を集め作られた日本初のルルド

    かつて、大村藩からの移住キリシタンが潜伏し、五島藩が塩造りの竈場で働せたという地区です。 1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会となりました。 当時の五島列島司牧の責任者ペルー神父は、1891年、バチカンにこのルルドの洞窟が再現されたと聞き、五島の信徒に呼びかけて島内の奇岩・珍石を集め、1899年、日本で最初のルルドを作りました。この霊水を飲むと病が治ると言…

  • 3

    楠原教会
    エリア
    岐宿

    楠原教会

    リブ・ヴォールト天井で、レンガ造りのゴシック様式。下五島に現存する教会としては、堂崎教会に次ぐ2番目に古い教会

    楠原地区は、1797年の五島藩要請で、六方の浜から上陸した第1陣の外海キリシタンが移住し、開墾した地域です。 仏教徒を装っていたときは穏やかな暮らしでしたが、久賀島から始まった五島崩れは、楠原にもおよび、信者が捕らえられました。 禁教の高札がおろされたのちの、1912年、ようやく現在のレンガ造の教会が建ちました。 その後年月の経過と共に楠原教会は徐々に傷みが出始め、その都度部分的な補修が行われてい…

  • 4

    水ノ浦教会
    エリア
    岐宿

    水ノ浦教会

    ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会

    水ノ浦の信徒は、五島と大村の藩の政策による1797年の外海(大野・牧野・神ノ浦)5人の男性とその妻子の移住にはじまると伝えられています。 1880年に最初の教会が建築されましたが、老朽化にともない、奥の土手を削って広げ、1938年、鉄川与助設計施工の木造の優美な現教会に改築されました。ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会で、木造教会堂としては最大の規模を誇り、青空に尖塔がそびえ…

  • 5

    福江教会
    エリア
    福江

    福江教会

    五島市中心部に建つ白亜のコンクリート作りの教会

    明治以降、旧福江城下に五島各地から信徒が集まり、1914年、堂崎小教区から独立しました。 現教会は、1962年に建立されました。 同年の市中心部で発生した大火災「福江大火」では、奇跡的にこの教会だけは焼けなかったそうです。 下五島地区では信徒数が最も多い教会で、市内の教会の中心的な役割も担っています。

  • 6

    旧五輪教会堂
    エリア
    久賀島

    旧五輪教会堂

    明治初期の貴重な建築物として国の重要文化財に指定されている。

    1881年建立の旧浜脇教会が1931年の建替えのとき、五輪地区に移築されました。 この旧教会が老朽化で解体される寸前、島内の仏教徒の助言によって価値が再確認され、五島市に移譲される事になり文化財として保存されました。 この地区は久賀島の中でいまだに直接車で行くことができない陸の孤島。 世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「久賀島の集落」に建つ教会です。   …

  • 7

    江上天主堂
    エリア
    奈留島

    江上天主堂

    世界文化遺産「奈留島の江上集落」構成資産。国指定重要文化財

    江上天主堂の歴史は、1881(明治14)年、西彼杵郡などより移住した4家族が洗礼を受けたことにはじまりました。 現教会は、1918年、40~50戸あまりの信徒が共同し、キビナゴの地引網で得た資金で建てられました。 日本における教会建築の父・鉄川与助に依頼し、設計施工。クリーム色の外壁や水色の窓枠がアクセントの、今では少ない木造建築の素朴な教会です。コウモリが羽を広げたような天井は賛美歌の声を美…

  • 8

    繁敷教会
    エリア
    富江

    繁敷教会

    移転して鬱蒼とした山道のてっぺんにひっそりと佇む教会

    半泊に外海から移住してきた潜伏キリシタンの2代目の家族が、再移住を願い出て1853年に繁敷に入り、田を開いたことに始まる地。 その跡がダムの底となった初代の教会は、戦時中の繁敷ダム建設のときに失火で燃え、2代目が別所に再建されたが、ダム工事の本格化で1974(昭和49 )年、繁敷ダムの脇を通りうっそうとした山道を登りつめた山の上の現在地に、移転することとなりました。  

  • 9

    貝津教会
    エリア
    三井楽

    貝津教会

    色鮮やかなステンドグラスが印象的な白壁の教会

    かつて、外海地区から頓泊などに入り、さらに竹山に移住した信徒の子孫が、1924(大正13)年に現在の木造教会を建立しました。国道端で聖母像にむかえられて入ると、畑の向こうに白壁で木造の教会がみえます。 1952(昭和27)年に岳小教区から独立し、貝津小教区となりました。 現教会は1962(昭和37)年に老朽化のため大幅な増改築がなされ、屋根の小さな尖塔はこの時新たに付け加えられたものです。 内部…

  • 10

    牢屋の窄殉教記念聖堂
    エリア
    久賀島

    牢屋の窄殉教記念聖堂

    弾圧時代、20㎡の牢獄に約200人が監禁され42人が亡くなった、殉教の悲劇を伝える信仰の聖地

    久賀島には、浜脇教会と4つの巡回教会がありましたが、人口減少で永里・赤仁田・細石流を統合し、「五島崩れ」から100年たった1969年、発電所の施設を利用した記念聖堂を建立しました。 1984年に、牢屋の窄殉教事件のあった地に移転のうえ聖堂を新築しました。 聖堂内部は、中央部12畳分が灰色のじゅうたんで色分けされています。これは約200名の信徒たちが8ヶ月もの間押し込められた牢屋の広さがひと目でわか…

  • 11

    半泊教会
    エリア
    福江

    半泊教会

    アイルランドの守護聖人に捧げられた小さな教会

    半泊地区は、キリシタン弾圧から逃れるために外海から来た移住者が、半分は別の地に移住し、半分がこの地に留まったという説があります。 1922(大正11)年に、アイルランドからの寄附と信徒たちの貧しい生活の中からの労働奉仕により、鉄川与助の施工で三廊式のすっきりとした清潔感ただよう教会が建てられました。  

  • 12

    浜脇教会
    エリア
    久賀島

    浜脇教会

    高くそびえる鐘塔が特徴的な、五島初の鉄筋コンクリート教会

    田ノ浦瀬戸を通ると、洋上から目に飛び込む三角の鐘塔が特徴の教会。 最初の浜脇教会は、久賀の地で迫害を乗り越えた信徒たちによって1881年に建立されました。 木造の教会は、潮風にさらされて傷みが激しく、増え続ける信徒の数に対応できなくなり、新築することになり、旧教会は五輪地区に移築して(現旧五輪教会堂)、1931年現教会を建立しました。 カトリック信徒以外からの寄付もあったという、五島で最初のコン…

  • 13

    五輪教会
    エリア
    久賀島

    五輪教会

    久賀島の険しい山を背景に、小さな漁港に並ぶ新・旧の教会

    久賀島五輪地区にある国指定重要文化財「旧五輪教会堂」の横に隣接する五輪教会。 1881年に浜脇教会として建てられた聖堂(旧五輪教会堂)を1931年現在地に移築し、信仰の拠り所としましたが、老朽化のため、1985年に近くの缶詰工場跡地に新しく立てられたのが聖堂 五輪教会です。歴史ある旧五輪教会堂を保存し、隣接して建てられたもので、五島市内ではもっとも新しい教会堂のひとつです。 教会の建っている五輪地…

  • 14

    南越教会
    エリア
    奈留島

    南越教会

    オレンジ色の屋根が印象的な、簡素な佇まいの木造教会

    奈留島の北エリア、相ノ浦湾と船廻湾の間に伸びる岬に位置する南越も、安住の地を求め外海からやってきた潜伏キリシタンの子孫が住む地でした。昭和の初めまで南越集落に教会はなく、交通の不便な集落だったため、信徒たちは、船で葛島や江上の教会へ行ってミサに通っていました。 最初の教会堂ができたのは1927(昭和2)年のこと。その後、老朽化で1957(昭和32)年に旧教会跡地に一回り小さくして建設されたのが現在…

  • 15

    浦頭教会
    エリア
    福江

    浦頭教会

    ノアの箱舟をイメージした、白亜のモダンな姿が里山に映える教会

    1797(寛政9)年大村藩から五島への移住が始まり、約3年の間に3000人が移り住みました。その中から奥浦地区に住み付いた潜伏キリシタンは、平蔵、浦頭、大泊、浜泊、堂崎、嵯峨瀬、宮原、観音平、半泊、間伏に住み、表向きは地元の寺の壇徒となり、密かにキリスト教を守っていました。  1868(明治元)年12月、奥浦村では信徒59名が浦頭の信徒宅に囚われ、久賀島に引き続き迫害が本格化していきました。棄教を…

  • 16

    三井楽(岳)教会
    エリア
    三井楽

    三井楽(岳)教会

    五島キリシタンの信仰を最も長く刻んだ地「三井楽」にある、ステンドグラスの美しい教会

    1797年大村藩の迫害から逃れてきた隠れキリシタンは、この地でひっそりと信仰を続けました。ゴシック様式の木造教会が完成したのは1880年。そして1971年に老朽化・白蟻被害のため、現教会に建て替えられました。 モダンなモザイク模様の壁画は、貝殻や陶器など色鮮やかで、教会内部のステンドグラスも細部に亘り見事な作りと色の配色が絶妙です。ちなみに、入って右側のステンドグラスはキリストの誕生から復活までを…

  • 17

    玉之浦教会
    エリア
    玉之浦

    玉之浦教会

    なつかしい童話の世界のような、まわりの風景に溶け込んだ調和の教会

    玉之浦教会は、絶景の地、大瀬崎灯台と日本最古のルルドのある井持浦教会からほど近い玉之浦町の中心地に位置しています。 波静かな海辺に面し、民家の立ち並ぶ一角にある教会で、切妻屋根に玄関を付加した素朴な造りです。 内部は小規模ながら祭壇と信徒席とが調和し、落ち着いた祈りの空間になっています。 尖塔、十字架、そして白い壁の小さな教会は、遠目にもくっきりと映え、まわりの風景にしっくりなじんで、どこかなつか…

  • 18

    打折教会
    エリア
    岐宿

    打折教会

    切妻屋根の、質素でシンプルな海辺の教会

    三井楽半島と対する小さな集落・打折の信徒も、外海・神ノ浦からの移住者に始まり、「五島崩れ」で楠原の信徒とともに水ノ浦の牢屋に入れられ苦難に耐えなければなりませんでした。 禁教の高札が撤去されると、島内各地区には教会が次々に建設されていきましたが、打折の集落には長い間教会がなく、信者たちの念願であった教会の建立は、1935年でした。集落裏手の山の中腹に初代教会堂は建てられましたが、老朽化により197…

  • 19

    宮原教会
    エリア
    福江

    宮原教会

    1885年(明治18年)ペルー師の在任後期の頃、教会として建築

    1797(寛政9)年以降、大村藩から五島へ移住した潜伏キリシタン達は奥浦地区では平蔵、浦頭、大泊、浜泊、堂崎、嵯峨瀬、観音平、半泊、間伏、そしてここ宮原にも住み着きました。 宮原のキリシタン達も、地元地区の寺の壇徒となって潜伏していたと言われています。 最初の教会は、祭壇の手間に障子があり、ミサの時に開けられていました。 現教会は、1971年(昭和46年)に建てられたものです。  

  • 20

    奈留教会
    エリア
    奈留島

    奈留教会

    奈留島の中心地にある、広い敷地内に建つ白くて美しい教会

    江戸時代末期、大村藩から移住した潜伏キリシタンたちは、奈留地区の葛島をはじめ島内各地に分かれて住み、開墾に従事しながら小さな集落を形成していきました。1868(明治元)年の五島崩れの翌年、葛島の信徒12戸が役所に呼び出され、当時の頭取(郷長)ら3人が算木責めの拷問をうけましたが、奈留島ではこれ以上の迫害は伝えられていません。 1873(明治6)年に禁教が解かれ、五島各地に教会が次々に建てられました…

前へ

  • 1
  • 2

次へ

巡礼の基礎知識

組織概要・当サイトについて お問い合わせ・資料請求 関連リンク
©五島市観光物産課・五島市観光協会
PageTop

閉じる
確認