五島の歴史と文化を求めて 五島一周

五島の歴史と文化を求めて 五島一周-1

五島の歴史と文化を感じてください

五島の歴史や文化を知りたい方は、まず五島歴史資料館で歴史や文化を知っていただくのがお勧めです。 その後、五島に点在するスポットを回ってみましょう。

  • 所要時間:日帰り
  • 交通手段:徒歩・車

START

福江港より徒歩で約8分

五島観光歴史資料館

世界遺産に認定された五島の潜伏キリシタンの歴史資料は一見の価値あり
五島観光歴史資料館-1
福江城二の丸跡に立つ五島観光歴史資料館は、天守閣を模した館内の1階~3階に展示室があります。古代の暮らしや五島の遺跡、遣唐使と倭寇、キリシタン信仰、五島藩の形成、観光名所、民俗行事など五島の歴史文化が時代順に分かりやすく展示され、見ごたえ十分です。

また、体感シアターの曲面スクリーンに映し出される五島キリシタン史の解説と臨場感あふれる教会の映像は、あたかもその場にいるような祈りの空間を体感でき圧巻です。徳川幕府の約250年にわたる弾圧の中で、信仰を守った潜伏キリシタンについて実物資料とともに学べます。

五島には、各地に多くの民俗行事がありますが、「ヘトマト」「五島神楽」「チャンココ」など無形民俗文化財に指定されているものもあります。
  • 住所 〒853-0018 長崎県五島市池田町1-4
    電話番号 0959-74-2300
    営業時間 6月~9月 9:00~18:00(入館は17:30まで)
    10月~5月 9:00~17:00(入館は16:30まで)
    休日 12月29日~1月3日
    ※メンテナンス等で臨時休館する場合あり
  • 詳細ページへ
住所 〒853-0018 長崎県五島市池田町1-4
電話番号 0959-74-2300
営業時間 6月~9月 9:00~18:00(入館は17:30まで)
10月~5月 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休日 12月29日~1月3日
※メンテナンス等で臨時休館する場合あり

徒歩で約8分

武家屋敷通り

石垣の成り立ちや仕組みに注目するとおもしろい!
武家屋敷通り-1
幕末に建てられた福江城(石田城)近くに、ほとんどそのままに当時のたたずまいを残している武家屋敷通りがあります。当時、ここには、30~40石の五島藩に仕えた中級武士たちの屋敷が並んでいたといわれています。

武家屋敷の周りを囲んでいる石垣は、鬼岳などが噴火した際に流れ出た溶岩が冷え固まってできた石を利用したもので、島の成り立ちをうまく生活に活かしたものの代表例といえます。この辺りの石垣塀は、切石を隙間なく積み重ねた上に玉石を載せた特徴的な「こぼれ石」と呼ばれる構造で、日本で数ヶ所しか確認されておらず大変貴重なものです。敵が石垣塀を越えて屋敷に忍び込もうとするとこぼれ石が落ち、その音で侵入が分かる仕組みになっていたとか。こぼれ石の横に置かれている蒲鉾型の石は「脇石(わきいし)」といって、こぼれ石を留めるほか、目印としても使われていたようです。
住所 〒853-0017 長崎県五島市武家屋敷2丁目
電話番号 0959-72-6111(五島市役所)

徒歩で約1分

武家屋敷通りふるさと館

石垣や庭園は必見!バラモン凧の絵付け体験をしてお土産にしよう
武家屋敷通りふるさと館-1
かつて中級武士階級の居宅が並んでいた武家屋敷通りには、今も高石垣の塀と薬医門が連なっています。武家屋敷通りふるさと館は、その武家屋敷通りの市指定史跡「福江武家屋敷跡」に遺構を活かして造られた木造平家建ての観光拠点施設です。

写真パネルで福江の歴史を紹介する展示コーナーや、バラモン凧の絵付け体験、貝殻フォトフレーム作り、ステンドグラスキーホルダー作りなどの体験コーナーも好評です。また、林泉式庭園を眺めて休憩ができる和室があり、喫茶コーナーでは五島名物の「五島うどん」「かんころ餅」や「五島海鮮」「五島ビーフ丼」をいただけます。
  • 住所 〒853-0017 長崎県五島市武家屋敷2-1-20
    電話番号 0959-72-2083
    営業時間 8:30~17:00(7月~8月は8:30~18:00)
    喫茶コーナー 11:00~16:00
    休日 毎週月曜日(7月~10月は無休)
    12月29日~1月3日
  • 詳細ページへ
住所 〒853-0017 長崎県五島市武家屋敷2-1-20
電話番号 0959-72-2083
営業時間 8:30~17:00(7月~8月は8:30~18:00)
喫茶コーナー 11:00~16:00
休日 毎週月曜日(7月~10月は無休)
12月29日~1月3日

徒歩で約8分

福江城(石田城)

見事な石垣が印象的な「日本最後の海城」
福江城(石田城)-1
 
・続日本100名城 平成29年4月6日発表 

五島家第30代領主盛成公によって黒船の来航に備えて建てられた福江城(石田城)。1863年(文久3年)に完成したものの、そのわずか9年後に明治政府によって解体された日本最後の海城として知られています。

築城当時は、日本で唯一、三方を海で囲まれた海城で、幕末期の海上防衛や異国船の来訪に備えるため、城内には台場(砲台)が設けられていました。今となっては城の周囲は埋め立てられ、当時の姿をしのぶのは難しいですが、石垣や石橋のほか、城の裏門である蹴出門(けだしもん)が現存しています。

現在は、本丸跡に県立五島高校があり、毎朝、自転車に乗った高校生たちが城門をくぐって登校する不思議な光景が見られます。また、北の丸跡に五島観光歴史資料館、文化会館が立ち、二の丸跡には盛成公の隠居所として造られた五島氏庭園(国指定名勝)が当時のまま残っています。
住所 〒853-0007 長崎県五島市池田町1-2
電話番号 0959-72-6111(五島市役所)
休日 なし

徒歩で約15分

六角井

六角形をなす井戸の形状が珍しい。
六角井-1

1540年(天文9年)、東シナ海を舞台に貿易商として活躍していた明国の五峰王直は、通商を求めて福江に来航しました。当時財政難だった領主宇久盛定公は、通商上の黙約を結び、現在の唐人町の高台に居住地を与えました。その際、五峰王直ら中国人が飲料用水、船舶用水として造ったのがこの六角井(戸)といわれています。

井戸枠を六角形に板石で囲んであるのが特徴で、井戸の中も水面下まで六角形井壁が板石で造られているため、六角形を地中に埋めたような形になっています。国道から少し入った住宅地にぽつんとあるのも印象的。五島における倭寇時代の貴重な遺跡のひとつです。

この型の六角井(戸)は県内に3個ありますが、いずれも所在地は港町であり、唐船との交渉がもたれた場所です。

住所 〒853-0006 長崎県五島市江川町5-12
電話番号 0959-72-6111(五島市役所)

徒歩で約3分

明人堂

明人堂は王直らが航海の安全を祈った廟堂跡地であるとされています
明人堂-1
1540年(天文9年)、当時東シナ海を中心に貿易商人として活躍していた明国の王直は、さらに勢力を拡大するため通商を求めて福江に来航しました。その際、財政に苦しんでいた領主宇久盛定公は、喜んで通商を許し、現在の唐人町一帯を居住地として与えました。

明人堂は、その王直らが航海の安全を祈るために建てた廟堂跡地であるとされています。王直は平戸にも居館を構え、明国が鎖国政策をとってからも倭寇と呼ばれ、体制にとらわれない海洋人として自由に往来していました。

現在の廟堂は1999年(平成11年)に改築されたもので、中国から取り寄せた石材を使い、中国の工人を呼び再現したものです。
住所 〒853-0007 長崎県五島市福江町1032-2
電話番号 0959-72-6111(五島市役所)

徒歩で約10分

宗念寺

藩主側室や複数の上級家臣の墓所のあるお寺です。
宗念寺-1
五島市役所の北側に位置する宗念寺は、寛永11年(1634年)、22代五島盛利の実母である芳春尼が没し、その菩堤寺として開基されたといわれています。
伊能忠敬の片腕であった坂部貞兵衛、藩絵師大坪玄能、白浜徴などの墓所もあります。
住所 長崎県五島市福江町16-1
電話番号 0959-72-3024

宗念寺内

坂部貞兵衛墓所(宗念寺内)

伊能忠敬の右腕坂部貞兵衛の墓所
坂部貞兵衛墓所(宗念寺内)-1
坂部貞兵衛は、文化2年(1805)の第5次測量調査から伊能忠敬に随行しました。測量だけではなく、測量結果の整理にも携わり、忠敬を全面的にサポートしました。
文化8年から行われた第8次測量調査で貞兵衛は分隊の隊長として忠敬と別れて測量を行いました。

文化10年(1813)に五島の西海岸部の測量を行っていたところ、チフスにかかり、このことを知った忠敬は測量調査を中止し、貞兵衛のもとを訪れますが駆けつけた忠敬に看取られ43歳の生涯を閉じました。 貞兵衛の死後、五島測量に参加していた隊員を全員集め、福江の宗念寺で葬儀を行いました。五島藩は五島藩家臣の貞方家の墓所に貞兵衛を手厚く葬りました。

また五島の測量を始めた地点であるとされる現在の東公園にはその記念碑も建てられています。
住所 長崎県五島市福江町16-1
電話番号 0959-72-3024

車で約10分

明星院(日本遺産)

日本遺産認定、五島八十八カ所霊場第一番札所
明星院(日本遺産)-1
明星院は、五島家代々の祈願所で、現在の本堂は第28代五島藩主盛運公が安永七年(1778年)に建立したものです。五島においては真言宗の本山であり、五島最古の木造建築物です。

五島の真言宗の本山であり、寺として五島最古の歴史を持つ明星院は、遣唐使として中国へ渡った弘法大師空海が帰国時に立ち寄ったという寺伝をもち、江戸時代は五島藩主家代々の祈願寺として崇敬を集めました。

本堂は、最古級の木造建築物で、2015年に日本遺産に認定されました。その本堂は、1778年(安永7年)に第28代盛運(もりゆき)公が火災で焼失したのを再建したもので、ひのきの芯柱20本が使用されています。また、本堂格天井には121枚の花鳥画が極彩色に描かれており、狩野派の絵師坪玄能筆と伝えられています。

本堂・天井絵・主要な仏具仏器は長崎県の有形文化財に指定されており、数々の秘宝が眠る伝統ある寺院です。


◆Googleストリートビューで明星院をバーチャル体験してみよう!
住所 〒853-0042 長崎県五島市吉田町1905
電話番号 0959-72-2218
営業時間 9:00~17:00(お盆期間は9:00~15:00)
休日 毎週月曜日
毎月1、28日

車で約30分

遣唐使船寄泊地の碑

遣唐使船日本最後の寄泊地
遣唐使船寄泊地の碑-1
魚津ヶ崎公園の岬には、「遣唐使船寄泊地」の碑が建てられています。
長く険しかった当時の船旅に思いをはせながら、遣唐使ゆかりの地をしのぶ観光客が多く訪れています。
住所 長崎県五島市岐宿町岐宿
電話番号 0959-82-1111

車で約15分

白石のともづな石(日本遺産)

遣唐使たちの想いを今に伝える
白石のともづな石(日本遺産)-1
岐宿町白石は遣唐使船最後の寄泊地。第16次遣唐使船(804年)には、空海や最澄も乗っていました。

この小さなともづな石は、遣唐使たちが船の修理や食料補給、風待ちをするために港に入った際、船からの綱をつないでいたといわれています。遣唐使たちの命をかけた偉業を讃え、地元では小さな祠を建てて漁業、海上安全の神としてこの石を祀っています。

ともづな石が祀られている小さなお堂には、お線香や花などが供えられてあり、現在も地元の人々の手によって大切に守られています。そっと手を合わせると、心が温かくなるスポットです。

また、五島市の史跡であり、日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島」の構成遺産でもあります。

◆Googleストリートビューでともづな石をバーチャル体験してみよう!
住所 長崎県五島市岐宿町川原287-8
電話番号 0959-82-1111(五島市役所 岐宿支所)

車で約10分

白良ヶ浜万葉公園

旧三井楽町の地域づくりのキャッチフレーズである「西のはて万葉の里づくり」の拠点施設として整備されました
白良ヶ浜万葉公園-1
かつて万葉の時代に遣唐使船の日本最後の寄港地としてにぎわいをみせていた三井楽の地。当時の哀歓は万葉集や蜻蛉日記に切々と綴られています。その歴史の面影を今に伝えようと、整備されたのが万葉公園です。

南国ムードが漂う園内は、イベント広場、多目的広場、冒険広場、万葉広場の4つのゾーンから構成され、ハギやヤマブキなど万葉ゆかりの草花が植栽されています。そして、公園のほぼ中央部の高台には、遣唐使船を模した展望台もあり、朱色の船艇が公園のシンボルとなっています。また、万葉集の歌碑も建てられており、海を眺めながら万葉の世界を堪能できます。

ターザンロープ、アスレチック施設などの遊具もあり、家族みんなで楽しめる憩いの場となっています。
万葉公園の地面をよく見ると、白い砂で覆われているのが分かります。実は、この万葉公園は白良ヶ浜の砂が強い北風で飛ばされ降り積もってできた砂丘です。
住所 〒853-0601 長崎県五島市三井楽町浜ノ畔
電話番号 0959-84-3162(五島市役所 三井楽支所)

車で約2分

道の駅 遣唐使ふるさと館

現在まで受け継がれた文化の伝承とともに、特産品の開発・観光土産品の販売促進、コミュニティ機能を兼ね備えた産業文化施設
道の駅 遣唐使ふるさと館-1
【展示コーナー】遣唐使や万葉に関連した資料の展示。
【インフォメーション】9面マルチ映像による五島三井楽町の紹介。
【物産販売コーナー】五島市の特産品や万葉グッズの販売。
【研修室】地域の会議や、生け花講習、ステンドグラス教室などに利用。また、団体様用のお食事会場としても利用可能です。
【和室】収容可能人員80名。歓送迎会や、忘年会など各種宴会対応可能。
【レストラン】収容人員80名(団体客利用も可能)ランチ・ディナーもお楽しみいただけます。焼肉コーナーでは、五島牛を存分に堪能できますよ。
人気は、金・土・日・祝日のランチタイムに実施される「ふるさとバイキング」。
五島市三井楽町の婦人会の方と共同で地元の食材、地元の調理法にこだわった、郷土料理バイキングを楽しめます。五島うどん、ひじきの煮物、山菜の天ぷらなど、季節の料理約40種類を提供しています。郷土料理だけでなく、カレー、グラタン、パスタなど、ふるさと館のシェフが作る洋食もバランスよく用意されており、オススメです。

12月第2日曜日には『三井楽産品まつり』、2月には『五島つばきマラソン』、その他万葉まつりなど多彩なイベントも開催されます。
住所 〒853-0601 長崎県五島市三井楽町浜ノ畔3150-1
電話番号 0959-84-3555
営業時間 9:00~18:00 

【レストラン】
ランチ 11:30~14:00
休日 年末年始

車で約30分

辞本涯の碑

空海記念碑。空海の偉徳を顕彰するため柏崎公園に建立。
辞本涯の碑-1
辞本涯の碑は、三井楽半島の先端、柏崎公園内にあります。遣唐使ゆかりの柏崎と第16次遣唐使船(804年)で唐に渡った空海の深い関わりを知った有志の方々が建立したものです。

姫島を背に立つ記念碑には、「日本の最果ての地を去る」という意味の「辞本涯」という文字が刻まれています。これは空海が書物に残した言葉だとか。

東シナ海を見つめていると、命をかけて唐に渡った遣唐使たちの勇気と偉業を偲び、胸を打たれます。すぐ近くには柏崎灯台もあり、三井楽半島からの海を眺めることもできます。


◆Googleストリートビューで辞本涯をバーチャル体験してみよう!
 
住所 〒853-0603 長崎県五島市三井楽町柏
電話番号 0959-84-3111(五島市役所 三井楽支所)

車で約60分

大宝寺(日本遺産)

空海が布教をした西の高野山(日本遺産追加認定)
大宝寺(日本遺産)-1
大宝寺は、701年(大宝元年)に三論宗の道融和尚が創建したと伝えられる五島最古の寺であり、第41代持統天皇の勅願寺です。
その後、806年(大同元年)に、遣唐使に随行していた空海が唐から帰国の際に大宝寺の付近に漂着し、国内初となる真言密教の講釈を行ったとされています。このことから、三論宗を真言宗に改宗させたといわれ、真言宗総本山の高野山に対し、大宝寺を西の高野山と呼ぶようになりました。

また、五島八十八ヶ所巡拝の八十八番札所でもあり、境内には「弘法大師霊場 祈願お砂奉安 四国八十八ヶ所巡拝御砂踏處」と書かれた大師堂があるほか、長崎県指定有形文化財の梵鐘もあります。本殿には、最澄が寄進した十一面観音や左甚五郎作の猿の彫刻があり、2022年には日本遺産の構成文化財として追加認定されました。
住所 〒853-0413 長崎県五島市玉之浦町大宝631
電話番号 0959-87-2471
営業時間 8:00~18:00

車で約40分

大瀬埼灯台

断崖絶壁の上に建ち、東シナ海をはるかに望める白亜の灯台
大瀬埼灯台-1
福江島の最西端に位置する大瀬埼灯台は、九州本土で最も遅い時間に夕陽が沈む場所。海に突き出た断崖絶壁の上に建つ白い灯台は、青い海とのコントラストが美しく、「日本の灯台50選」に選ばれています。また、3700カンデラ光度で、およそ22km先まで照らし、近海を航行する船の道しるべとなっています。

大瀬埼灯台周辺には「灯台を見るための展望所」があり、晴れた日には男女群島も一望できます。展望台から望む白亜の灯台と東シナ海に沈む夕陽は言葉にできないほどの美しさ。

駐車場から灯台までは遊歩道が整備されていますが、行きは下り坂のため約20分、帰りは上り坂になるため約40分かかります。それでも、歩く価値ありの絶景が待っています。

9月~10月には、遊歩道に釣り鐘形の「シマシャジン」という小さな紫色の花や、大陸へ渡るハチクマを見ることができます。シマシャジンは、世界でも五島市と平戸市、韓国の済州島でしか見られないとされ、環境省の絶滅危惧種に指定されている珍しい花です。

映画『悪人』のロケ地としても有名です。

【画像10枚目】
※1 現在地は、大瀬埼灯台へ向かう道中、最初に見えてくる第一駐車場です。
※2 大瀬埼灯台まで降りられる場合は、画像P3の駐車場が一番近いです。
※3 大瀬埼灯台が見える展望所は6箇所記載がありますが、展望台から眺められるのは祈りの女神までの4箇所です。祈りの女神より大瀬埼灯台側の展望所は大瀬埼灯台へ向かう道中になります。

【大瀬埼灯台までの行き方】
大瀬埼灯台までの公共交通機関はございません。
車(レンタカー)または観光バスをご利用ください。

【五島列島ジオパークを代表するジオサイト】
東シナ海の荒波により削られた断崖は、「五島層群」と呼ばれる大陸由来の砂と泥の地層で、五島列島の成り立ちを語るうえで欠かせないスポットです。このしま模様の地層を縦に貫くのは岩脈という地下のマグマが地層を貫いて固まったもので、「大瀬崎粗粒玄武岩の平行岩脈群」として五島市の天然記念物に指定されています。



住所 〒853-0411 長崎県五島市玉之浦町玉之浦
電話番号 0959-87-2216(五島市役所 玉之浦支所)

車で約10分

祈りの女神像(ハチクマ)

隠れた名所にある、女神の像と願いを叶えてくれる鐘 とハチクマ
祈りの女神像(ハチクマ)-1
大瀬崎断崖の駐車場から大瀬山への道を登ると、頂上に祷りの女神の像と鐘が建立されています。
これは太平洋戦争中、沖を出る船から大瀬崎を見納めの地として南方戦線に赴き、再び祖国の地を踏むことができなかった多くの将兵の霊を慰めるために建立されたものです。
美しい女神の像は、長崎市の平和公園にある平和記念像で知られる北村西望氏作。また、女神の像の横にある鐘は願い事を叶えてくれる鐘として密かに語り継がれています。

ここまでの道は少々きついですが、その価値はあり。大瀬崎灯台や果てしなく広がる東シナ海も見渡せる絶景ポイントです。

秋になるとハチクマの時期が訪れます。ハチクマは、両翼を広げた長さが130cmになる大型のタカ。夏に本州などで繁殖し、秋になると越冬のため東南アジア方面に向かいます。
ハチの幼虫を食べる習性があること、仲間のクマタカに似ていることが「ハチクマ」の名前の由来といわれています。日本に飛来したほとんどのハチクマが五島列島(大瀬崎)を経て大陸に渡りそこから南下するそうです。
住所 〒853-0411 長崎県五島市玉之浦町玉之浦
電話番号 0959-87-2211(五島市役所 玉之浦支所)

車で約55分

勘次ヶ城跡

山崎の石塁
勘次ヶ城跡-1

勘次ケ城跡は、富江町南部の低い溶岩台地上の海岸部に構築された砦状の遺構です。「山崎の石塁」ともよばれ、1970年に県の指定史跡になりました。

今から150年ほど前、大工の勘次が河童と築いた石の城という説や、大きな施設でのぞき穴などがあることから倭寇のアジトとして築城されたという説があります。迷路のような石積みが巡らされ、その延長は180mに及びます。

現在はそのミニチュアがすぐ近くに作られていますのでご覧ください。

住所 〒853-0213 長崎県五島市富江町岳
電話番号 0959-86-1111(五島市役所 富江支所)

GOAL

Google Mapの読み込みが1日の上限を超えた場合、正しく表示されない場合がございますので、ご了承ください

当サイトでは、利便性の向上と利用状況の解析、広告配信のためにCookieを使用しています。サイトを閲覧いただく際には、Cookieの使用に同意いただく必要があります。詳細はクッキーポリシーをご確認ください。