
五島のシンボル的教会。県指定有形文化財
禁教令が解かれたあと、五島キリシタン復興の任を帯びて、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ布教にあたり、1879年にマルマン神父によって、五島における最初の天主堂(木造)が建てられました。 その後着任した、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コーモリ天井などの教会堂建築となって…
五島の信徒に呼びかけ、島内の石を集め作られた日本初のルルド
かつて、大村藩からの移住キリシタンが潜伏し、五島藩が塩造りの竈場で働せたという地区です。 1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会となりました。 当時の五島列島司牧の責任者ペルー神父は、1891年、バチカンにこのルルドの洞窟が再現されたと聞き、五島の信徒に呼びかけて島内の奇岩・珍石を集め、1899年、日本で最初のルルドを作りました。この霊水を飲むと病が治ると言…
ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会
水ノ浦の信徒は、五島と大村の藩の政策による1797年の外海(大野・牧野・神ノ浦)5人の男性とその妻子の移住にはじまると伝えられています。 1880年に最初の教会が建築されましたが、老朽化にともない、奥の土手を削って広げ、1938年、鉄川与助設計施工の木造の優美な現教会に改築されました。ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会で、木造教会堂としては最大の規模を誇り、青空に尖塔がそびえ…
明治初期の貴重な建築物として国の重要文化財に指定されている。
1881年建立の旧浜脇教会が1931年の建替えのとき、五輪地区に移築されました。 この旧教会が老朽化で解体される寸前、島内の仏教徒の助言によって価値が再確認され、五島市に移譲される事になり文化財として保存されました。 この地区は久賀島の中でいまだに直接車で行くことができない陸の孤島。 世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「久賀島の集落」に建つ教会です。 …
ノアの箱舟をイメージした、白亜のモダンな姿が里山に映える教会
1797(寛政9)年大村藩から五島への移住が始まり、約3年の間に3000人が移り住みました。その中から奥浦地区に住み付いた潜伏キリシタンは、平蔵、浦頭、大泊、浜泊、堂崎、嵯峨瀬、宮原、観音平、半泊、間伏に住み、表向きは地元の寺の壇徒となり、密かにキリスト教を守っていました。 1868(明治元)年12月、奥浦村では信徒59名が浦頭の信徒宅に囚われ、久賀島に引き続き迫害が本格化していきました。棄教を…
リブ・ヴォールト天井で、レンガ造りのゴシック様式。下五島に現存する教会としては、堂崎教会に次ぐ2番目に古い教会
楠原地区は、1797年の五島藩要請で、六方の浜から上陸した第1陣の外海キリシタンが移住し、開墾した地域です。 仏教徒を装っていたときは穏やかな暮らしでしたが、久賀島から始まった五島崩れは、楠原にもおよび、信者が捕らえられました。 禁教の高札がおろされたのちの、1912年、ようやく現在のレンガ造の教会が建ちました。 その後年月の経過と共に楠原教会は徐々に傷みが出始め、その都度部分的な補修が行われてい…
世界文化遺産「奈留島の江上集落」構成資産。国指定重要文化財
江上天主堂の歴史は、1881(明治14)年、西彼杵郡などより移住した4家族が洗礼を受けたことにはじまりました。 現教会は、1918年、40~50戸あまりの信徒が共同し、キビナゴの地引網で得た資金で建てられました。 日本における教会建築の父・鉄川与助に依頼し、設計施工。クリーム色の外壁や水色の窓枠がアクセントの、今では少ない木造建築の素朴な教会です。コウモリが羽を広げたような天井は賛美歌の声を美…
東シナ海に面した草原の一角に十字架の墓標やマリア様の像が立ち並ぶカトリック墓地
寛政年間の五島藩政策による開拓農民の移住よりも早く1776年7月27日、三井楽村淵の元に、外海の農民14家族78人が居着きを願いでて移住してきています。 マリア様や墓標を背にオレンジ色に染まる落陽は神秘的で美しい光景であり、墓地の先には遣唐使船が通った東シナ海が広がり、嵯峨島が浮かびます。
五島市中心部に建つ白亜のコンクリート作りの教会
明治以降、旧福江城下に五島各地から信徒が集まり、1914年、堂崎小教区から独立しました。 現教会は、1962年に建立されました。 同年の市中心部で発生した大火災「福江大火」では、奇跡的にこの教会だけは焼けなかったそうです。 下五島地区では信徒数が最も多い教会で、市内の教会の中心的な役割も担っています。
五島キリシタンの信仰を最も長く刻んだ地「三井楽」にある、ステンドグラスの美しい教会
1797年大村藩の迫害から逃れてきた隠れキリシタンは、この地でひっそりと信仰を続けました。ゴシック様式の木造教会が完成したのは1880年。そして1971年に老朽化・白蟻被害のため、現教会に建て替えられました。 モダンなモザイク模様の壁画は、貝殻や陶器など色鮮やかで、教会内部のステンドグラスも細部に亘り見事な作りと色の配色が絶妙です。ちなみに、入って右側のステンドグラスはキリストの誕生から復活までを…
弾圧時代、20㎡の牢獄に約200人が監禁され42人が亡くなった、殉教の悲劇を伝える信仰の聖地
久賀島には、浜脇教会と4つの巡回教会がありましたが、人口減少で永里・赤仁田・細石流を統合し、「五島崩れ」から100年たった1969年、発電所の施設を利用した記念聖堂を建立しました。 1984年に、牢屋の窄殉教事件のあった地に移転のうえ聖堂を新築しました。 聖堂内部は、中央部12畳分が灰色のじゅうたんで色分けされています。これは約200名の信徒たちが8ヶ月もの間押し込められた牢屋の広さがひと目でわか…
アイルランドの守護聖人に捧げられた小さな教会
半泊地区は、キリシタン弾圧から逃れるために外海から来た移住者が、半分は別の地に移住し、半分がこの地に留まったという説があります。 1922(大正11)年に、アイルランドからの寄附と信徒たちの貧しい生活の中からの労働奉仕により、鉄川与助の施工で三廊式のすっきりとした清潔感ただよう教会が建てられました。
色鮮やかなステンドグラスが印象的な白壁の教会
かつて、外海地区から頓泊などに入り、さらに竹山に移住した信徒の子孫が、1924(大正13)年に現在の木造教会を建立しました。国道端で聖母像にむかえられて入ると、畑の向こうに白壁で木造の教会がみえます。 1952(昭和27)年に岳小教区から独立し、貝津小教区となりました。 現教会は1962(昭和37)年に老朽化のため大幅な増改築がなされ、屋根の小さな尖塔はこの時新たに付け加えられたものです。 内部…
世界遺産の島、久賀島・奈留島を満喫!福江港発着の日帰りツアー(ガイド付き)
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」登録となった島、久賀島・奈留島のキリシタンの歴史や島を満喫できる福江港発着のガイド付き日帰りツアーです。 定期船・タクシーをつかって探訪できるお得なプランです。 【旅のポイント】 ・『久賀島の集落』&『奈留島の江上集落』世界遺産の集落・教会を巡ります。 ・個人手配では考えられない料金&コース設定です。 ・全行程、地元を熟…
久賀島の険しい山を背景に、小さな漁港に並ぶ新・旧の教会
久賀島五輪地区にある国指定重要文化財「旧五輪教会堂」の横に隣接する五輪教会。 1881年に浜脇教会として建てられた聖堂(旧五輪教会堂)を1931年現在地に移築し、信仰の拠り所としましたが、老朽化のため、1985年に近くの缶詰工場跡地に新しく立てられたのが聖堂 五輪教会です。歴史ある旧五輪教会堂を保存し、隣接して建てられたもので、五島市内ではもっとも新しい教会堂のひとつです。 教会の建っている五輪地…
高くそびえる鐘塔が特徴的な、五島初の鉄筋コンクリート教会
田ノ浦瀬戸を通ると、洋上から目に飛び込む三角の鐘塔が特徴の教会。 最初の浜脇教会は、久賀の地で迫害を乗り越えた信徒たちによって1881年に建立されました。 木造の教会は、潮風にさらされて傷みが激しく、増え続ける信徒の数に対応できなくなり、新築することになり、旧教会は五輪地区に移築して(現旧五輪教会堂)、1931年現教会を建立しました。 カトリック信徒以外からの寄付もあったという、五島で最初のコン…
なつかしい童話の世界のような、まわりの風景に溶け込んだ調和の教会
玉之浦教会は、絶景の地、大瀬崎灯台と日本最古のルルドのある井持浦教会からほど近い玉之浦町の中心地に位置しています。 波静かな海辺に面し、民家の立ち並ぶ一角にある教会で、切妻屋根に玄関を付加した素朴な造りです。 内部は小規模ながら祭壇と信徒席とが調和し、落ち着いた祈りの空間になっています。 尖塔、十字架、そして白い壁の小さな教会は、遠目にもくっきりと映え、まわりの風景にしっくりなじんで、どこかなつか…
明治の始め、キリシタン迫害のために牢屋として使われた建物(復元)
1868(明治元)年末、久賀島からはじまった「五島崩れ」はクリスマスの日に水ノ浦におよび、まもなく楠原のキリシタンも取り調べをうけて、仮牢となった帳方(キリシタン組織の最高責任者)・狩浦喜代助宅に投獄された後、水ノ浦の牢に移されました。 牢屋となった屋敷の材木は、1954(昭和29)年、水ノ浦修道院楠原分院の1階に使用され、1995(平成7)年に解体、翌年、牢屋跡横に残された材木で、牢屋が縮小復元…
切妻屋根の、質素でシンプルな海辺の教会
三井楽半島と対する小さな集落・打折の信徒も、外海・神ノ浦からの移住者に始まり、「五島崩れ」で楠原の信徒とともに水ノ浦の牢屋に入れられ苦難に耐えなければなりませんでした。 禁教の高札が撤去されると、島内各地区には教会が次々に建設されていきましたが、打折の集落には長い間教会がなく、信者たちの念願であった教会の建立は、1935年でした。集落裏手の山の中腹に初代教会堂は建てられましたが、老朽化により197…
奈留島の中心地にある、広い敷地内に建つ白くて美しい教会
江戸時代末期、大村藩から移住した潜伏キリシタンたちは、奈留地区の葛島をはじめ島内各地に分かれて住み、開墾に従事しながら小さな集落を形成していきました。1868(明治元)年の五島崩れの翌年、葛島の信徒12戸が役所に呼び出され、当時の頭取(郷長)ら3人が算木責めの拷問をうけましたが、奈留島ではこれ以上の迫害は伝えられていません。 1873(明治6)年に禁教が解かれ、五島各地に教会が次々に建てられました…