五島氏のルーツを訪ねて ~城岳展望所(岐宿城跡)・金福寺・巖立神社~
今回は、私たちが在籍している五島南高校がある岐宿町の歴史を掘り下げてみました。
みなさんは岐宿といえば何をイメージするのでしょうか。連続テレビ小説「舞いあがれ!」のロケ地にもなった魚津ヶ崎公園(ぎょうがさきこうえん)の知名度はかなりあがっていると思います。
しかし、五島列島を平定した五島氏が宇久島から移り住んだ場所が岐宿であることを、一体どれだけの方が知っているのでしょうか。
今回の記事は、歴史好きの方必見です。
まずは私たち五島南高校に通う生徒にとってのホームタウン、岐宿町のランドマークとなる城岳展望台に向かいました。福江港ターミナルから三井楽方面へ車で移動すること約20分。それから、民宿あびるの看板を過ぎた先の交差点から左折して山道を登り上がること7~8分でたどりつきます。
車から降りると説明板が待ち受けていました。ここからは展望所まで遊歩道を歩いていきます。説明板をみると、「岐宿城跡」との表記が。そうです。ここは宇久島から移り住んだ宇久覚(さとる)公が築いた城(山城)と伝えられています。私たちが知っている福江城(石田城)よりも前に、しかも岐宿町に城が築かれていたとは・・・・すごくロマンを感じながら遊歩道を登っていきました。
遊歩道を歩くとすぐに東屋(休憩所)があり、そこからでも美しい岐宿の風景を望むことができました。ふもとから見る城岳は、携帯電話の無線中継塔がみえる程度だったため、東屋があることは知りませんでした。東屋に座って景色を眺めましたが、既に心は展望所に向かっています。そそくさとその場を後にしてなだらかな山道遊歩道を登っていきます。
遊歩道を登りはじめて5分弱で展望所にたどり着きました。頂上からは無線中継塔までの道がコンクリートで整備されていて、架けられている橋を渡って無線中継所に入ります。そこからの景色は海側も山側もしっかり見渡せる絶景でした。海側の鋭くとがった魚津ヶ崎半島周辺の入江は、緑と青のコントラストが映えています。私たちが眺めている海の奥にある宇久島からやってきた宇久覚公が、この地に山城(岐宿城)を築いたのも納得です。間違いなくかつての福江島のゲートウェイは岐宿だったことを改めて感じることができました。
次に向かった場所は金福寺です。城岳展望所から山道を降りて直進。その後、岐宿郵便局を通り過ぎてこくら酒屋の先を左折し、青柳公民館の手前から左折すると到着します。こちらは、宇久覚公が岐宿に移り住んだ1383年に創建しています。しかし覚公は1388年に亡くなり、その子宇久勝(すぐる)公が覚公をこの寺に埋葬しました。
初めて訪問したため早速捜索開始。すると他の墓所にはない独特の石囲いが目立つ空間を見つけました。そして脇の石柱に刻まれていた「宇久五島家八代覚公墓」という文字を発見した時に、探していたお墓であると確信しました。
埋葬後、勝公は岐宿を離れ福江(辰ノ口)に移りますが、父が眠る金福寺へのお参りを欠かすことがなかったそうです。
顧問の先生を通して事前にご住職様から墓所について教えていただいていましたが、この場所から城岳を眺めながら五島氏のルーツにたどり着いた嬉しさと実感が湧いてきました。
撮影許可をくださった五島家第35代当主五島 典昭様、ご住職様、ありがとうございました!
次に向かったのは、宇久覚公によって1383年に建立された巖立神社です。金福寺から宮町方面へ徒歩10分弱で到着します。鳥居脇の説明板によると、以前は「岩立三所大権現」と呼ばれていましたが、それは権現岳(戸岐ノ首)から宮ノ小島(岐宿港付近)を経て祀られていた神々がこの場所に移転したことに由来しています。巌立神社に改称されたのは明治時代。社殿に向かう参道の両脇にある石灯籠の並びをみたときに、この場所の特別感に触れた思いがしました。
現在巖立神社は、五島四社(五社神社・八幡神社・白鳥神社・巖立神社)のひとつに称されています。社殿脇の説明板で分かったのですが、境内に密生している植物群落は、「巖立神社社叢(いわたてじんじゃしゃそう)」という名称で県の天然記念物に指定されています。自然との調和によって社殿は厳かな雰囲気に包まれているように感じました。もちろん宇久覚公による建立という歴史的背景も大きく影響しています。
巖立神社では、御扉開祭や例大祭などの神事で「岐宿神楽」が演じられていますが、重要無形民俗文化財である「五島神楽」のひとつでもあります。あいにく神楽が演じられる日(時間帯)にあわせた取材ができませんでしたので、以前顧問の先生が撮影した画像でその雰囲気を味わっていただければと思います。
今回は五島氏のルーツを訪ねて、私たちのホームタウンである岐宿をご紹介しましたが、なんだか今までとは違う新鮮な気持ちで岐宿を感じることができた意義深い1日になりました。
追伸 金福寺と巖立神社に向かう際、顧問の先生が駐車した岐宿町公民館には、「開校の地」という石碑があり、五島高校岐宿分校(現五島南高校)があった場所であることを知りました。五島氏のルーツを訪ねる途中で、思いがけず母校のルーツにもたどり着くことができました。