五島の歴史と文化を求めて 五島一周
福江
五島の歴史と文化を感じてください
五島の歴史や文化を知りたい方は、まず五島歴史資料館で歴史や文化を知っていただくのがお勧めです。
その後、五島に点在するスポットを回ってみましょう。
スタート
1. 五島観光歴史資料館
福江
五島の生い立ちから現在までの姿を各種の資料で展示しています。
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、臨時休館とさせていただきます。(臨時休館期間:4/18~5/24)
五島観光歴史資料館は、旧福江市制施行35周年を記念して建設されたものです。昭和62年から着工され、平成元年11月12日石田城跡に開館しました。
館内は、五島の観光振興と郷土の歴史、文化遺産などに対する市民の理解と認識を深めるために、五島の生い立ちから現在までの姿を各種の資料で展示しています。
2. 武家屋敷通り
福江
福江(石田)城址近くに、ほとんど当時のたたずまいを残している武家屋敷通りがあります
福江(石田)城址近くに、ほとんどそのままに当時のたたずまいを残している武家屋敷通りがあります。
城を思わせる石垣塀は、こぼれ石と称される丸い小石を積み重ね、その両端を蒲鉾型の石で止めて作られており、外敵を防ぐために、このこぼれ石を用いたといわれています。
この石垣塀、そのいかめしい門構えと共に全国的に類を見ないと高く評価されています。
3. 武家屋敷通りふるさと館
福江
バラモン凧作り、草木染めとフォトフレーム作りの体験もできます。
福江武家屋敷通りふるさと館は、市指定史跡「福江武家屋敷跡」に建設され、武家屋敷通りを中心とした写真パネル等の展示、五島家庭園と同じ様式の林泉式庭園を眺めることができる和室や喫茶コーナーなどがあります。
喫茶コーナーでは五島名物の「五島うどん」や「かんころ餅」も食べることができます。
バラモン凧作り、草木染めとフォトフレーム作りの体験もできます。
電動アシストレンタルサイクルもございます。
4. 福江城(石田城)
福江
城壁の三方が海に面していたわが国ただ一つの海城として有名です
一万二千六百石、五島藩主の居城で、第30代藩主盛成公の時、黒船の来航に備えて造られました。
これはわが国で最も新しい城だといわれ、嘉永二年(1849年)8月から15年の歳月と延べ5万人の人夫、二万両の工費を使って文久三年(1863年)に完成しました。当時は城壁の三方が海に面しているわが国ただ一つの海城として有名。
現在は、本丸跡に五島高校、三の丸に資料館、文化会館、図書館が建ち、五島市の文化ゾーンになっています。
5. 六角井戸
福江
六角形をなす井戸の形状が珍しい。
天文9年(1540)、当時明国の王直は通商を求めて福江に来航しました。
築城後間もないので窮迫した財政を再建するため、領主宇久盛定公は通商上の黙約を結び、現在の唐人町の高台に居住地を与えました。その際、王直ら中国人が飲料用水、船舶用水として造ったのがこの六角井(戸)といわれています。
井戸枠を六角形に板石で囲んでいるのが特徴で、井戸の中も水面下まで六角形井壁が板石で造られているため、六角形を地中に埋めたような形になっています。
国道から少し入った住宅地にぽつんとあるのも印象的。五島における倭寇時代の貴重な遺跡のひとつです。
この珍しい井戸は、昭和29年に県指定文化財となりました。
6. 明人堂
福江
明人堂は王直らが航海の安全を祈った廟堂跡地であるとされています
天文九年(1540年)宇久家第17代領主盛定公の頃、当時東シナ海を中心に貿易商人として活躍していた明国の王直は、さらに勢力を拡大するため通商を求め、福江に来航しました。盛定公は喜んで通商を許し、現在の唐人町一帯を居住地として与えました。
明人堂は王直らが航海の安全を祈った廟堂跡地であるとされています。
王直は平戸にも居館を構え、明国が海禁(鎖国)政策をとってからも、倭寇と呼ばれ、体制にとらわれない海洋人として自由に往来していました。
7. 宗念寺
福江
藩主側室や複数の上級家臣の墓所のあるお寺です。
五島市役所の北側に位置する宗念寺は、寛永11年(1634年)、22代五島盛利の実母である芳春尼が没し、その菩堤寺として開基されたといわれています。
伊能忠敬の片腕であった坂部貞兵衛、藩絵師大坪玄能、白浜徴などの墓所もあります。
8. 坂部貞兵衛墓所(宗念寺内)
福江
伊能忠敬の右腕坂部貞兵衛の墓所
坂部貞兵衛は、文化2年(1805)の第5次測量調査から伊能忠敬に随行しました。測量だけではなく、測量結果の整理にも携わり、忠敬を全面的にサポートしました。
文化8年から行われた第8次測量調査で貞兵衛は分隊の隊長として忠敬と別れて測量を行いました。
文化10年(1813)に五島の西海岸部の測量を行っていたところ、チフスにかかり、このことを知った忠敬は測量調査を中止し、貞兵衛のもとを訪れますが駆けつけた忠敬に看取られ43歳の生涯を閉じました。
貞兵衛の死後、五島測量に参加していた隊員を全員集め、福江の宗念寺で葬儀を行いました。五島藩は五島藩家臣の貞方家の墓所に貞兵衛を手厚く葬りました。
また五島の測量を始めた地点であるとされる現在の東公園にはその記念碑も建てられています。
9. 明星院(日本遺産)
福江
五島家代々の祈願所で、重要文化財に相当する逸品もあります。
明星院は、五島家代々の祈願所で、現在の本堂は第28代盛運公が安永七年(1778年)に建立したものです。五島においては真言宗の本山であり、寺としては五島最古の歴史を持っています。
本堂格子天井の花鳥の絵は異国の花鳥と思われる絵が多く、狩野永徳の高弟大坪玄能筆と伝えられています。
弘法大師が唐からの帰途参籠された院内には、鎌倉室町時代の仏像仏具が多く、中には重要文化財に相当する逸品もあります。
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10. 遣唐使船寄泊地の碑
岐宿
遣唐使船日本最後の寄泊地
魚津ヶ崎公園の岬には、「遣唐使船寄泊地」の碑が建てられています。
長く険しかった当時の船旅に思いをはせながら、遣唐使ゆかりの地をしのぶ観光客が多く訪れています。
11. 白石のともづな石(日本遺産)
岐宿
遣唐使たちの想いを今に伝える
岐宿町白石は遣唐使船最後の寄泊地。第16次遣唐使船(804年)には、空海や最澄も乗っていました。
彼らも美しい白石湾を眺めながら、大海を渡る覚悟を新たにしたことでしょう。
この石は遣唐使たちが船の修理や食料補給、風待ちをするために港に入った際、とも綱を結わえたといわれています。
遣唐使たちの命をかけた偉業を讃え、地元では小さな祠を建てて漁業、海上安全の神としてこの石を祀っています。
ともづな石は地元の人々の手によって大切に守られているのです。
ともづな石が祀られている小さなお堂には、テーブルや座布団などちょっとした日用品が置いてあり、この場所が地元の人々のコミュニティの場ともなっていることが分かります。
そっと手を合わせると、心が温かくなるスポットです。
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12. 白良ヶ浜万葉公園
三井楽
旧三井楽町の地域づくりのキャッチフレーズである「西のはて万葉の里づくり」の拠点施設として整備されました
白良ヶ浜一帯を活用し、万葉公園として整備。
公園は、イベント広場、多目的広場、冒険広場、万葉広場の4つのゾーンから構成されています。
公園のポイントとしては、ほぼ中央部の高台に「遣唐使船型展望台」を設置、朱色の船艇が公園のシンボルとなっています。この展望台からは、白良ヶ浜が一望できます。
また、国道脇の中央部に「万葉広場」と称し、故犬養孝先生揮毫の万葉歌碑があり、それを中心にハギ、ヤマブキ、ウメ、マツなどの万葉の植物5万本を(草、花を含む)を植栽しています。
13. 遣唐使ふるさと館
三井楽
現在まで受け継がれた文化の伝承とともに、特産品の開発・観光土産品の販売促進、コミュニティ機能を兼ね備えた産業文化施設
【万葉シアター】…遣唐使と万葉をテーマとした映像を上映。
【展示コーナー】… 遣唐使や万葉に関連した資料の展示。
【インフォメーション】…9面マルチ映像による五島三井楽町の紹介。
【物産販売コーナー】…五島市の特産品や万葉グッズの販売。
【研修室】…地域の会議や、生け花講習、ステンドグラス教室などに利用。また、団体様用のお食事会場としても利用可能です。
【和室】…収容可能人員80名。歓送迎会や、忘年会など各種宴会対応可能。
【レストラン】…収容人員80名(団体客利用も可能)ランチ・ディナーもお楽しみいただけます。焼肉コーナーでは、五島牛を存分に堪能できますよ。
人気は、金・土・日・祝日のランチタイムに実施される「ふるさとバイキング」。
五島市三井楽町の婦人会の方と共同で地元の食材、地元の調理法にこだわった、郷土料理バイキングを楽しめます。五島うどん、ひじきの煮物、山菜の天ぷらなど、季節の料理約40種類を提供しています。郷土料理だけでなく、カレー、グラタン、パスタなど、ふるさと館のシェフが作る洋食もバランスよく用意されており、オススメです。
12月第2日曜日には『三井楽産品まつり』、2月には『五島つばきマラソン』、その他万葉まつりなど多彩なイベントも開催されます。
14. 辞本涯の碑
三井楽
空海記念碑。空海の偉徳を顕彰するため柏崎公園に建立。
遣唐使にゆかりのある五島市三井楽町と、第16次遣唐使船(804年)で唐に渡った僧空海と深くかかわりのあることを広く紹介し、その偉徳を顕彰するために建立されました。
姫島を背に「辞本涯」(日本のさいはてを去るの意)と刻まれています。
この草原に立ち、東シナ海の大海原を眺めるとき、「日本のさいはての地よ、さようなら」の感慨にひたり、命をかけて唐に渡っていった人達の勇気と偉業を偲び、ただただ頭の下がる思いがします。
◆Googleストリートビューで辞本涯をバーチャル体験してみよう!
15. 大宝寺
玉之浦
弘法大師・空海が帰朝の途、大宝の浜に上陸し暫くここに滞在したことから「西の高野山」と呼ばれている。
大宝元年(701年)震旦の国(現在の中国)より三論宗の祖師、道融和尚が来朝し弥勒山観音院大宝寺を開創する。また、第41代持統天皇の勅願寺でもある。
その後大同元年(806年)、空海が帰朝の途、この地に滞在し大宝寺において本邦初めての真言密教の講莚を行い、三論宗を真言宗に改宗する。
室町時代の涅槃図、我が国最古の大般若経、凡鐘(県文化財)、日本三大秘仏の聖観音像、左甚五郎作と伝えられる猿の彫刻がある。
16. 大瀬崎灯台
玉之浦
そそり立つ断崖の上に建てられた白亜の灯台。その先には、東シナ海の大パノラマが広がります。日本の灯台50選の1つ。
明治12年12月15日に初点灯。英国人R・プラトンの設計と言われています。
現在のものは昭和46年に改築したもので、光力は200万カンデラ光達距離は約44kmにもおよぶ日本屈指の灯台です。
初代灯台の一部は東京・お台場の船の科学館に展示されています。(本館展示は無期限で休止中。屋外展示)
また、展望台から望む白亜の灯台と東シナ海に沈む夕陽は言葉に表せない美しさがあります。近くには故北村西望(人間国宝)作の祷りの女神像があります。
灯台が立つ大瀬崎断崖は西海国立公園の特別地域に指定されています。(長崎海上保安部HPより引用)
※灯台及び遊歩道にトイレはございません。展望所などで事前にお済ませください。
※遊歩道は整備されていますが、起伏があり落ち葉などで滑りやすい場所もありますので十分お気を付けください。
◆Googleストリートビューで大瀬崎展望所をバーチャル体験してみよう!
17. 祈りの女神像(ハチクマ)
玉之浦
隠れた名所にある、女神の像と願いを叶えてくれる鐘 とハチクマ
大瀬崎断崖の駐車場から大瀬山への道を登ると、頂上に祷りの女神の像と鐘が建立されています。
これは太平洋戦争中、沖を出る船から大瀬崎を見納めの地として南方戦線に赴き、再び祖国の地を踏むことができなかった多くの将兵の霊を慰めるために建立されたものです。
美しい女神の像は、長崎市の平和公園にある平和記念像で知られる北村西望氏作。また、女神の像の横にある鐘は願い事を叶えてくれる鐘として密かに語り継がれています。
ここまでの道は少々きついですが、その価値はあり。大瀬崎灯台や果てしなく広がる東シナ海も見渡せる絶景ポイントです。
秋になるとハチクマの時期が訪れます。ハチクマは、両翼を広げた長さが130cmになる大型のタカ。夏に本州などで繁殖し、秋になると越冬のため東南アジア方面に向かいます。
ハチの幼虫を食べる習性があること、仲間のクマタカに似ていることが「ハチクマ」の名前の由来といわれています。日本に飛来したほとんどのハチクマが五島列島(大瀬崎)を経て大陸に渡りそこから南下するそうです。
18. 勘次ヶ城跡
富江
山崎の石塁
「山崎の石塁」(昭和45年県の指定史跡)ともよばれ、今から150年程前、大工の勘次が河童と築いた石の城という説や、大きな施設でのぞき穴などがある事から倭寇のアジトとして築城されたという説があります。
迷路のような石積みが巡らされ、その延長は180メートルに及びます。
現在はそのミニチュアがすぐ近くに作られていますのでご覧ください。
ゴール