福江教会より車で12分
下五島2泊3日 教会めぐりの旅

福江
富江
岐宿
三井楽
玉之浦
奈留島
久賀島
祈りの島五島 教会巡り
下五島の教会を巡ります。
●奈留へのアクセス(1日6~7便)
福江港よりフェリーまたはニューたいようにて奈留港に着。
●久賀島へのアクセス(1日3便)
久賀島へは奈留から福江港に戻り、久賀島行きに乗船して行きます。
【教会訪問時のマナー注意事項】
◎教会は神聖な祈りの場所です。
◎ミサや教会行事中・冠婚葬祭など特別な儀式の時は拝観はご遠慮ください。
◎教会の中に入る時は脱帽し、静かに拝観して下さい。
◎教会内での飲食や喫煙は厳禁です。
◎内陣(祭壇域)は神聖な場所ですので、立ち入らないようにしましょう。
◎原則として、教会内での撮影はできません。
◎ゴミは各自持ち帰りましょう。
下五島の教会を巡ります。
●奈留へのアクセス(1日6~7便)
福江港よりフェリーまたはニューたいようにて奈留港に着。
●久賀島へのアクセス(1日3便)
久賀島へは奈留から福江港に戻り、久賀島行きに乗船して行きます。
【教会訪問時のマナー注意事項】
◎教会は神聖な祈りの場所です。
◎ミサや教会行事中・冠婚葬祭など特別な儀式の時は拝観はご遠慮ください。
◎教会の中に入る時は脱帽し、静かに拝観して下さい。
◎教会内での飲食や喫煙は厳禁です。
◎内陣(祭壇域)は神聖な場所ですので、立ち入らないようにしましょう。
◎原則として、教会内での撮影はできません。
◎ゴミは各自持ち帰りましょう。
スタート
2. 浦頭教会
福江
ノアの箱舟をイメージした、白亜のモダンな姿が里山に映える教会
1797(寛政9)年大村藩から五島への移住が始まり、約3年の間に3000人が移り住みました。その中から奥浦地区に住み付いた潜伏キリシタンは、平蔵、浦頭、大泊、浜泊、堂崎、嵯峨瀬、宮原、観音平、半泊、間伏に住み、表向きは地元の寺の壇徒となり、密かにキリスト教を守っていました。
1868(明治元)年12月、奥浦村では信徒59名が浦頭の信徒宅に囚われ、久賀島に引き続き迫害が本格化していきました。棄教を迫られた信徒たちには叩き責め、火責め、水責め、算木責めなどの責め苦が待っていました。この地区で叩き責めにあう信徒の悲痛な叫び声が、約2キロ離れたところまで聞こえたと伝えられています。
浦頭地区には、1888年に最初の教会が建ち、1921年に2代目が、さらに1950年に増改築され、1968年、集落の高台である現在地に建てられました。五島宣教の中心だった堂崎教会の老朽化や、交通機関の変化も伴い、浦頭が一帯の中心の教会となります。
1868(明治元)年12月、奥浦村では信徒59名が浦頭の信徒宅に囚われ、久賀島に引き続き迫害が本格化していきました。棄教を迫られた信徒たちには叩き責め、火責め、水責め、算木責めなどの責め苦が待っていました。この地区で叩き責めにあう信徒の悲痛な叫び声が、約2キロ離れたところまで聞こえたと伝えられています。
浦頭地区には、1888年に最初の教会が建ち、1921年に2代目が、さらに1950年に増改築され、1968年、集落の高台である現在地に建てられました。五島宣教の中心だった堂崎教会の老朽化や、交通機関の変化も伴い、浦頭が一帯の中心の教会となります。
浦頭教会より車で10分
3. 堂崎教会
福江
五島のシンボル的教会。県指定有形文化財
禁教令が解かれたあと、五島キリシタン復興の任を帯びて、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ布教にあたり、1879年にマルマン神父によって、五島における最初の天主堂(木造)が建てられました。
その後着任した、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コーモリ天井などの教会堂建築となっています。
現在は、弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されています。
1974年に、県の有形文化財(建造物)の指定を受けました。
その後着任した、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コーモリ天井などの教会堂建築となっています。
現在は、弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されています。
1974年に、県の有形文化財(建造物)の指定を受けました。
住所 |
〒853-0053 長崎県五島市奥浦町堂崎2019 MAP |
---|---|
教会 データ |
【建物】レンガ造平屋256㎡ 【竣工】1908年 【設計】ペルー神父 |
小教区 | 浦頭小教区 |
内覧時間 | 11月11日~3月20日 9時~16時 3月21日~10月10日 9時~17時 (夏休み期間は18時まで) |
休日 | 12月30~1月2日 |
拝観料・ 入場料 |
大人300(250)円、中高生150(100)円、小学生100(50)円〔( )内は20名以上の団体料金〕 【障害者割引】 大人150円、中高生100円、小人50円(※障害者手帳の提示が必要) |
駐車場 | 有 |
電話番号 | 0959-73-0705 Phone |
アクセス | 福江港から車で20分 天主堂入口停留所から徒歩3分 |
堂崎教会より車で10分
4. 宮原教会
福江
1885年(明治18年)ペルー師の在任後期の頃、教会として建築
1797(寛政9)年以降、大村藩から五島へ移住した潜伏キリシタン達は奥浦地区では平蔵、浦頭、大泊、浜泊、堂崎、嵯峨瀬、観音平、半泊、間伏、そしてここ宮原にも住み着きました。
宮原のキリシタン達も、地元地区の寺の壇徒となって潜伏していたと言われています。
最初の教会は、祭壇の手間に障子があり、ミサの時に開けられていました。
現教会は、1971年(昭和46年)に建てられたものです。
宮原のキリシタン達も、地元地区の寺の壇徒となって潜伏していたと言われています。
最初の教会は、祭壇の手間に障子があり、ミサの時に開けられていました。
現教会は、1971年(昭和46年)に建てられたものです。
宮原教会より車で15分
半泊教会より車で40分
6. 楠原教会
岐宿
リブ・ヴォールト天井で、レンガ造りのゴシック様式。下五島に現存する教会としては、堂崎教会に次ぐ2番目に古い教会
楠原地区は、1797年の五島藩要請で、六方の浜から上陸した第1陣の外海キリシタンが移住し、開墾した地域です。
仏教徒を装っていたときは穏やかな暮らしでしたが、久賀島から始まった五島崩れは、楠原にもおよび、信者が捕らえられました。
禁教の高札がおろされたのちの、1912年、ようやく現在のレンガ造の教会が建ちました。
その後年月の経過と共に楠原教会は徐々に傷みが出始め、その都度部分的な補修が行われていましたが、昭和43年には祭壇部分を含め大がかりな増築、補修工事が行われ現在に至っています。
仏教徒を装っていたときは穏やかな暮らしでしたが、久賀島から始まった五島崩れは、楠原にもおよび、信者が捕らえられました。
禁教の高札がおろされたのちの、1912年、ようやく現在のレンガ造の教会が建ちました。
その後年月の経過と共に楠原教会は徐々に傷みが出始め、その都度部分的な補修が行われていましたが、昭和43年には祭壇部分を含め大がかりな増築、補修工事が行われ現在に至っています。
楠原教会より車で7分
7. 水ノ浦教会
岐宿
ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会
水ノ浦の信徒は、五島と大村の藩の政策による1797年の外海(大野・牧野・神ノ浦)5人の男性とその妻子の移住にはじまると伝えられています。
1880年に最初の教会が建築されましたが、老朽化にともない、奥の土手を削って広げ、1938年、鉄川与助設計施工の木造の優美な現教会に改築されました。ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会で、木造教会堂としては最大の規模を誇り、青空に尖塔がそびえる光景は絵になる美しさです。高台にはヨハネ五島(26聖人の内の五島出身者)の像や、弾圧時代の牢跡もあります。
※現在は感染症対策の一環で堂内の拝観を中止しております。
1880年に最初の教会が建築されましたが、老朽化にともない、奥の土手を削って広げ、1938年、鉄川与助設計施工の木造の優美な現教会に改築されました。ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会で、木造教会堂としては最大の規模を誇り、青空に尖塔がそびえる光景は絵になる美しさです。高台にはヨハネ五島(26聖人の内の五島出身者)の像や、弾圧時代の牢跡もあります。
※現在は感染症対策の一環で堂内の拝観を中止しております。
水ノ浦教会より車で15分
8. 打折教会
岐宿
切妻屋根の、質素でシンプルな海辺の教会
三井楽半島と対する小さな集落・打折の信徒も、外海・神ノ浦からの移住者に始まり、「五島崩れ」で楠原の信徒とともに水ノ浦の牢屋に入れられ苦難に耐えなければなりませんでした。
禁教の高札が撤去されると、島内各地区には教会が次々に建設されていきましたが、打折の集落には長い間教会がなく、信者たちの念願であった教会の建立は、1935年でした。集落裏手の山の中腹に初代教会堂は建てられましたが、老朽化により1973年に海辺に場所を移して建ちます。
三井楽半島の対岸の入江に面し、京岳を背景にして建ち、教会前面に広がる浜辺では、海の幸を求める地元の人の姿も見られ、自然に囲まれた四季折々の生活が、五島キリシタンの苦難の歴史を乗り越え今に受け継がれています。また打折教会を中心に集落を形成しているこの地区は、全戸カトリック信徒の世帯で、大半が漁業により生計を立てています(平成22年3月現在) 。
禁教の高札が撤去されると、島内各地区には教会が次々に建設されていきましたが、打折の集落には長い間教会がなく、信者たちの念願であった教会の建立は、1935年でした。集落裏手の山の中腹に初代教会堂は建てられましたが、老朽化により1973年に海辺に場所を移して建ちます。
三井楽半島の対岸の入江に面し、京岳を背景にして建ち、教会前面に広がる浜辺では、海の幸を求める地元の人の姿も見られ、自然に囲まれた四季折々の生活が、五島キリシタンの苦難の歴史を乗り越え今に受け継がれています。また打折教会を中心に集落を形成しているこの地区は、全戸カトリック信徒の世帯で、大半が漁業により生計を立てています(平成22年3月現在) 。
打折教会より車で30分
9. 三井楽(岳)教会
三井楽
五島キリシタンの信仰を最も長く刻んだ地「三井楽」にある、ステンドグラスの美しい教会
1797年大村藩の迫害から逃れてきた隠れキリシタンは、この地でひっそりと信仰を続けました。ゴシック様式の木造教会が完成したのは1880年。そして1971年に老朽化・白蟻被害のため、現教会に建て替えられました。
モダンなモザイク模様の壁画は、貝殻や陶器など色鮮やかで、教会内部のステンドグラスも細部に亘り見事な作りと色の配色が絶妙です。ちなみに、入って右側のステンドグラスはキリストの誕生から復活までを、左側は五島のカトリックの歴史が描かれています。
モダンなモザイク模様の壁画は、貝殻や陶器など色鮮やかで、教会内部のステンドグラスも細部に亘り見事な作りと色の配色が絶妙です。ちなみに、入って右側のステンドグラスはキリストの誕生から復活までを、左側は五島のカトリックの歴史が描かれています。
三井楽教会より車で25分
10. 貝津教会
三井楽
色鮮やかなステンドグラスが印象的な白壁の教会
かつて、外海地区から頓泊などに入り、さらに竹山に移住した信徒の子孫が、1924(大正13)年に現在の木造教会を建立しました。国道端で聖母像にむかえられて入ると、畑の向こうに白壁で木造の教会がみえます。
1952(昭和27)年に岳小教区から独立し、貝津小教区となりました。
現教会は1962(昭和37)年に老朽化のため大幅な増改築がなされ、屋根の小さな尖塔はこの時新たに付け加えられたものです。
内部は、ステンドグラスを通して差し込む赤や青、緑色の鮮やかな光の芸術が素朴なぬくもりのある空間を彩っています。
ひっそりと静まり帰った堂内には、内陣に色とりどりの季節の花が飾られ、厳かな中にも訪れる人に心の安らぎを感じさせてくれます。
1952(昭和27)年に岳小教区から独立し、貝津小教区となりました。
現教会は1962(昭和37)年に老朽化のため大幅な増改築がなされ、屋根の小さな尖塔はこの時新たに付け加えられたものです。
内部は、ステンドグラスを通して差し込む赤や青、緑色の鮮やかな光の芸術が素朴なぬくもりのある空間を彩っています。
ひっそりと静まり帰った堂内には、内陣に色とりどりの季節の花が飾られ、厳かな中にも訪れる人に心の安らぎを感じさせてくれます。
貝津教会より車で50分
11. 井持浦教会とルルド
玉之浦
五島の信徒に呼びかけ、島内の石を集め作られた日本初のルルド
かつて、大村藩からの移住キリシタンが潜伏し、五島藩が塩造りの竈場で働せたという地区です。
1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会となりました。
当時の五島列島司牧の責任者ペルー神父は、1891年、バチカンにこのルルドの洞窟が再現されたと聞き、五島の信徒に呼びかけて島内の奇岩・珍石を集め、1899年、日本で最初のルルドを作りました。この霊水を飲むと病が治ると言われ、日本全国の信者の聖地となっています。
1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会となりました。
当時の五島列島司牧の責任者ペルー神父は、1891年、バチカンにこのルルドの洞窟が再現されたと聞き、五島の信徒に呼びかけて島内の奇岩・珍石を集め、1899年、日本で最初のルルドを作りました。この霊水を飲むと病が治ると言われ、日本全国の信者の聖地となっています。
井持浦教会より車で5分
12. 玉之浦教会
玉之浦
なつかしい童話の世界のような、まわりの風景に溶け込んだ調和の教会
玉之浦教会は、絶景の地、大瀬崎灯台と日本最古のルルドのある井持浦教会からほど近い玉之浦町の中心地に位置しています。
波静かな海辺に面し、民家の立ち並ぶ一角にある教会で、切妻屋根に玄関を付加した素朴な造りです。
内部は小規模ながら祭壇と信徒席とが調和し、落ち着いた祈りの空間になっています。
尖塔、十字架、そして白い壁の小さな教会は、遠目にもくっきりと映え、まわりの風景にしっくりなじんで、どこかなつかしい童話の世界を感じさせます。
波静かな海辺に面し、民家の立ち並ぶ一角にある教会で、切妻屋根に玄関を付加した素朴な造りです。
内部は小規模ながら祭壇と信徒席とが調和し、落ち着いた祈りの空間になっています。
尖塔、十字架、そして白い壁の小さな教会は、遠目にもくっきりと映え、まわりの風景にしっくりなじんで、どこかなつかしい童話の世界を感じさせます。
13. 各宿泊施設へ
2日目 奈留港より車で15分
14. 江上天主堂
奈留島
世界文化遺産「奈留島の江上集落」構成資産。国指定重要文化財
江上天主堂の歴史は、1881(明治14)年、西彼杵郡などより移住した4家族が洗礼を受けたことにはじまりました。
現教会は、1918年、40~50戸あまりの信徒が共同し、キビナゴの地引網で得た資金で建てられました。
日本における教会建築の父・鉄川与助に依頼し、設計施工。クリーム色の外壁や水色の窓枠がアクセントの、今では少ない木造建築の素朴な教会です。コウモリが羽を広げたような天井は賛美歌の声を美しく響かせるためのもので、柱に描かれた文様や光を巧みに操る技法など、文化財としても価値の高い建築様式です。
また、手描きの木目の柱や花の絵の窓ガラスに、信徒の苦労の結晶を見ることができます。
現教会は、1918年、40~50戸あまりの信徒が共同し、キビナゴの地引網で得た資金で建てられました。
日本における教会建築の父・鉄川与助に依頼し、設計施工。クリーム色の外壁や水色の窓枠がアクセントの、今では少ない木造建築の素朴な教会です。コウモリが羽を広げたような天井は賛美歌の声を美しく響かせるためのもので、柱に描かれた文様や光を巧みに操る技法など、文化財としても価値の高い建築様式です。
また、手描きの木目の柱や花の絵の窓ガラスに、信徒の苦労の結晶を見ることができます。
2018年登録となった、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産です。
◆通常扉は施錠中。
◆通常扉は施錠中。
教会見学に当たってのお願い
江上天主堂の見学は(個人・団体問わず)事前連絡が必要です。
♦連絡先:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(外部リンク)
♦TEL 095-823-7650/FAX 095-895-9690
♦対応時間:9時30分~17時30分
※ホームページでも受け付けています。
江上天主堂より車で15分
15. 奈留教会
奈留島
奈留島の中心地にある、広い敷地内に建つ白くて美しい教会
江戸時代末期、大村藩から移住した潜伏キリシタンたちは、奈留地区の葛島をはじめ島内各地に分かれて住み、開墾に従事しながら小さな集落を形成していきました。1868(明治元)年の五島崩れの翌年、葛島の信徒12戸が役所に呼び出され、当時の頭取(郷長)ら3人が算木責めの拷問をうけましたが、奈留島ではこれ以上の迫害は伝えられていません。
1873(明治6)年に禁教が解かれ、五島各地に教会が次々に建てられましたが、その頃の奈留島と周辺地区には葛島と江上の2教会しかありませんでした。
最初の奈留教会は、建設資金の大部分を宿輪集落の信徒たちが負担し、上五島青方の大工に依頼して、1926(大正15)年、現在地に完成しました。その後拡張工事もおこなわれましたが、1959(昭和34)年、台風時には持ちこたえることができないとの判断がなされ、信徒の手で解体されました。
現教会は1961年(昭和36)年に建設着工し、同年12月に祝別、献堂されました。
奈留教会史に残る出来事のひとつは、1973(昭和48)年3月に葛島の島民が集団で樫木山地区へ移転し、信徒の全員が奈留教会の所属になったことです。離島のさらに離島である葛島での生活の維持が困難になったためでした。
葛島は奈留島地区のなかで大村藩の潜伏キリシタンの移住がもっとも早くおこなわれ、百数十年間にわたり熱心な信仰の歴史が刻まれた島ですが、この集団移転により、葛島教会は廃堂となりました。
1873(明治6)年に禁教が解かれ、五島各地に教会が次々に建てられましたが、その頃の奈留島と周辺地区には葛島と江上の2教会しかありませんでした。
最初の奈留教会は、建設資金の大部分を宿輪集落の信徒たちが負担し、上五島青方の大工に依頼して、1926(大正15)年、現在地に完成しました。その後拡張工事もおこなわれましたが、1959(昭和34)年、台風時には持ちこたえることができないとの判断がなされ、信徒の手で解体されました。
現教会は1961年(昭和36)年に建設着工し、同年12月に祝別、献堂されました。
奈留教会史に残る出来事のひとつは、1973(昭和48)年3月に葛島の島民が集団で樫木山地区へ移転し、信徒の全員が奈留教会の所属になったことです。離島のさらに離島である葛島での生活の維持が困難になったためでした。
葛島は奈留島地区のなかで大村藩の潜伏キリシタンの移住がもっとも早くおこなわれ、百数十年間にわたり熱心な信仰の歴史が刻まれた島ですが、この集団移転により、葛島教会は廃堂となりました。
16. 福江港ターミナル
福江
五島の海の玄関口
五島市の玄関口でもある福江港ターミナル。
長崎・福岡・奈留島・久賀島・上五島の他、椛島・赤島・黄島への航路があります。福江港ターミナルは2008年3月19日『九州みなとオアシス五島福江』に認定。
2階には展望デッキがり鬼岳も見ることができます。
2階には展望デッキがり鬼岳も見ることができます。
また、五島港公園では毎年各種イベント(バラモンキング、夕やけマラソン、椿まつり)なども開催されております。
~ターミナル内ご利用のみなさまへ~
・コインロッカーあり
・有料駐車場あり
・飲食店、お土産店あり
・飲食店、お土産店あり
・長崎港よりジェットフォイルで約1時間25分
・長崎港よりフェリーで約3時間10分
・博多港よりフェリー太古で約8時間30分
九州商船(福江支店)0959-72-2191
野母商船 092-291-0510
五島バス観光課 0959-72-2173
※船の予約・お問合せは各船会社にお問い合わせください
田ノ浦港・浜脇港より徒歩10分
17. 浜脇教会
久賀島
高くそびえる鐘塔が特徴的な、五島初の鉄筋コンクリート教会
田ノ浦瀬戸を通ると、洋上から目に飛び込む三角の鐘塔が特徴の教会。
最初の浜脇教会は、久賀の地で迫害を乗り越えた信徒たちによって1881年に建立されました。
木造の教会は、潮風にさらされて傷みが激しく、増え続ける信徒の数に対応できなくなり、新築することになり、旧教会は五輪地区に移築して(現旧五輪教会堂)、1931年現教会を建立しました。
カトリック信徒以外からの寄付もあったという、五島で最初のコンクリート造教会です。
最初の浜脇教会は、久賀の地で迫害を乗り越えた信徒たちによって1881年に建立されました。
木造の教会は、潮風にさらされて傷みが激しく、増え続ける信徒の数に対応できなくなり、新築することになり、旧教会は五輪地区に移築して(現旧五輪教会堂)、1931年現教会を建立しました。
カトリック信徒以外からの寄付もあったという、五島で最初のコンクリート造教会です。
浜脇教会より車で15分
18. 牢屋の窄殉教記念聖堂
久賀島
弾圧時代、20㎡の牢獄に約200人が監禁され42人が亡くなった、殉教の悲劇を伝える信仰の聖地
久賀島には、浜脇教会と4つの巡回教会がありましたが、人口減少で永里・赤仁田・細石流を統合し、「五島崩れ」から100年たった1969年、発電所の施設を利用した記念聖堂を建立しました。
1984年に、牢屋の窄殉教事件のあった地に移転のうえ聖堂を新築しました。
聖堂内部は、中央部12畳分が灰色のじゅうたんで色分けされています。これは約200名の信徒たちが8ヶ月もの間押し込められた牢屋の広さがひと目でわかるようになっており、かれらの苦しみを雄弁に物語っています。
正面にある塔『信仰之礎』には、入牢させられたキリシタンたち190人の霊名と名前が刻まれています。
1984年に、牢屋の窄殉教事件のあった地に移転のうえ聖堂を新築しました。
聖堂内部は、中央部12畳分が灰色のじゅうたんで色分けされています。これは約200名の信徒たちが8ヶ月もの間押し込められた牢屋の広さがひと目でわかるようになっており、かれらの苦しみを雄弁に物語っています。
正面にある塔『信仰之礎』には、入牢させられたキリシタンたち190人の霊名と名前が刻まれています。
牢屋の窄殉教記念教会堂より車で25分後、徒歩10分
19. 旧五輪教会堂
久賀島
明治初期の貴重な建築物として国の重要文化財に指定されている。
1881年建立の旧浜脇教会が1931年の建替えのとき、五輪地区に移築されました。
この旧教会が老朽化で解体される寸前、島内の仏教徒の助言によって価値が再確認され、五島市に移譲される事になり文化財として保存されました。
この地区は久賀島の中でいまだに直接車で行くことができない陸の孤島。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「久賀島の集落」に建つ教会です。
この旧教会が老朽化で解体される寸前、島内の仏教徒の助言によって価値が再確認され、五島市に移譲される事になり文化財として保存されました。
この地区は久賀島の中でいまだに直接車で行くことができない陸の孤島。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「久賀島の集落」に建つ教会です。
教会見学に当たってのお願い
旧五輪教会堂の見学は(個人・団体問わず)事前連絡が必要です。
♦連絡先:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(外部リンク)
♦TEL 095-823-7650/FAX 095-895-9690
♦対応時間:9時30分~17時30分
※ホームページでも受け付けています。
旧五輪教会堂より田ノ浦港まで約50分
田ノ浦港~福江港 20分
田ノ浦港~福江港 20分
20. 各宿泊施設へ
ゴール